事務局 呉事務所
2016年04月01日(金)
花粉症?
「試飲いかがですか?」
いい香りに誘われて何気なく立ち寄ったハーブのお店で、ハーブティーの試飲を進められました。
「風邪の症状や、花粉症の症状を和らげる効果があるんですよ。」
と説明を受けつつ試飲をしたところ、香りが良く、とても美味しかったので、試しに購入をしてみました。
「エルダーフラワー」というハーブで、マスカットのような香りがします。
・粘液を浄化して呼吸器の気道をきれいにしてくれる
・アレルギー性の鼻炎や花粉症などのカタル症状(鼻水・鼻づまりなど)緩和
・利尿作用と発汗作用に優れ、体内に溜まった毒素の排出を助ける(むくみの気になる方にオススメ!)
というような効果があるそうです。
初めは、風邪でも花粉症でもなかったため、どの程度効果があるのかよく分かりませんでした。
が、数日後、風邪のような花粉症のような、よく分からない症状に見舞われ、ここぞとばかりにハーブティーを飲みました。
なんとなく?ほんの少し?症状が和らいだ気が…
プラシーボ効果かもしれませんが、それでも緩和されたならそれはそれで。
それよりなにより、この症状が花粉症なのかどうか。
これまで、花粉症と自覚したことはありませんでしたが、もしかしてデビュー…
しばらく様子を見てみようと思います。
ハーブにはたくさんの種類があり、それぞれに効能効果が違うので、いろいろ調べてみると楽しそうですね。
弁護士 谷脇 裕子
2016年03月23日(水)
立ち止まってはいけない?
今月15日のブログ(「永い言い訳」の長い言い訳)でも少し触れましたが、昨今、表現媒体や表現手段の広がりとは裏腹に表現に対する寛容さが失われ、ともするとポジティブなメッセージしか受け入れられにくくなっているように感じます。そして、最近どこでもかしこでも「過去を振り返るな」「立ち止まらず前を向いて進め(進もう)」(これこそが成功のルールだ)という趣旨の、それこそ耳障りの好い前向きなフレーズを耳にします(記憶に新しいところでは、SMAPの解散騒動後の木村拓哉さんの発言で「これから自分たちは何があっても前を向いて進んでいく」というものがありましたね。)。
しかし、ひねくれ者の私はこのフレーズに違和感を覚えます。時間は巻き戻せないのだから、もとより前へ進むしかない。そんなことは分かりきったこと。
一見、ポジティブに聞こえる、この「前へ進め(進もう)」の大合唱(?)。私には、このメッセージの流行が、とりもなおさず今を生きる私たちの不安の深さを物語っているように思えてなりません。また、このフレーズ(時代の精神)は、厳しい状況のなかで不安な気持ちをごまかすために都合のよい、自己暗示のようにも感じられます。誰もが失敗を恐れて、思考停止のまま、まるで乗り遅れてはいけないとばかりに“行き先不明の満員バス”に飛び乗ろうとしているかのよう(行き先は不明なのに!です。)。
しかし、不安な状況、厳しい状況であるならば、そうであるからこそ、ときには立ち止まり、ひとりぼっちになって去就を定める勇気が必要なのではないでしょうか。そう、それはとても淋しいことかもしれないけれど、つらい選択の責任を他人や社会に押しつけたことの代償は決して小さくはないはずだから。
弁護士 今田 健太郎
2016年03月28日(月)
幸せのカタチ
弁護士の今田健太郎です。
東京では桜の開花宣言があり、いよいよ春本番ですね。
満開の桜に包まれると、どこか華やかな気持ちになりますが、日々の仕事に目を向けると、そんな素敵な景色に目をやる余裕がないほどの、悩みや苦しみを抱えている方々が、実にたくさんおられます。
その方々に、春の風を感じてもらえるような助言やアドバイスをするというのは、想像以上に難しいものですが、どうにか、少しでも相談者の悩みを軽くすることができたとき、それこそまさに弁護士冥利に尽きる瞬間と言えます。
先日、ある依頼者の方から印象に残る言葉を頂きました。
「ありがとうございます。これでやっとつまらない毎日に戻れます。つまらない毎日ほど幸せだって気付いたんです。」
つまらないことが幸せ?
その方が言ったこの言葉の意味の真意は何でしょうか。
何もない平凡な毎日が幸せって言葉はたまに耳にしますが、つまらないことが幸せとは。
つまらないとは「詰まる」に打消しの助動詞「ない」がついたもの。
詰まるとは決着がつくという意味で、そこから考えると決着がつかないということが
つまらないという言葉の、本来の語源のようです。文学者の解釈は違うかもしれません。
世の中、決着がつかない方が良いこともたくさんあります。
決着がつかない、白黒はっきりつけないから幸せでいられることもたくさんあるのですね。
私の仕事はある意味、決着をつける仕事かもしれません。
しかし、その人の抱えている問題や、性格、背景事情などによって、その人なりの「決着」のつけかた、場合によっては、今すぐ決着を付けないことが「決着」である、という選択肢も、頭に入れておかなければいけないのでしょうね。
春の風に吹かれながら、幸せってなんだろうとふと考えました。
答えは出ていませんが、「幸せはなるもの、与えられるものではなく、自ら感じるものである」ことだけは間違いないようです。
プロ野球も開幕しました。我らが「広島カープ」だけは、今シースンこそ、「優勝」という
決着をつけてもらいたいものですね。優勝の余韻を「感じて」幸せになりたいと思います。
弁護士 谷脇 裕子
2016年03月15日(火)
『永い言い訳』の長い言い訳?
西川美和さんの『永い言い訳』(文藝春秋)という小説を読んだ。西川さんの著作を読んだのはこれが2冊目だ。1冊目は『映画にまつわるXについて』という作品で、こちらはエッセイ集だった。私はこの本で、初めて西川さんが映画監督であり、広島県の出身であることを知った。
『永い言い訳』は突然の事故で妻を失った男の物語だが、この作品を読んでひとつ引っかかったことがある。それは、文章全体から感じられる、ある種の【照れ】のような印象だ。
表現媒体や表現手段の広がりとは裏腹に、なぜか表現に対する寛容さ、度量の広さが失われ、ともするとポジティブなもの(たとえば昨今よく耳にする「前に進め」などのフレーズ)しか受け入れられにくくなっている現代社会において、西川さんがおそらく一番表現したい、伝えたいと思っているであろう人間関係の厄介さ、煩わしさと、しかしそれこそがすべてだ!(本作のなかの表現を借りれば「人生は、他者だ。」)という本作を含めた西川さん自身のテーマのもつリアリズムは、重すぎて浮いてしまう。
西川さんの文章全体から感じられる【照れ】のような印象は、人間関係の重すぎるリアリズムと不寛容になった社会とをすりあわせるための長い言い訳のように感じられた。
深読みのしすぎだろうか?